備後国 びんご


 広島県は備後国と安芸国からなる。古代吉備国から分れた備後国は、東は備中、西は安芸、北は伯耆・出雲・石見に接し、南は瀬戸内海の島々の伊予に接している。沼田川・芦田川の下流域からは、尾道の東の松永湾の周辺の太田貝塚をはじめとする縄文遺跡や弥生遺跡が多い。ことに芦田川中流から下流は文化の成立発展の中心地であり、備後南部の唯一の穀倉地帯で、吉備安那国、吉備品治国もこの境域にある。大化改新の後、吉備国を備前・備中・備後と分けて、備後を「きびのみちのしり」とよんだ。三次市を中心とした地方には2000におよぶ古墳群や住居跡が発見され、波久岐国の存在が想定されている。備後国一宮吉備津神社は新市町綱引にあり、国府、国分尼寺は府中市、国分寺は神辺町に推定されている。備後国を南北二つにわけて北を内郡、南を外郡と称した。山岳地帯の内郡は銅・鉄・木材・馬、南の外郡は食塩・海産物を産した。塩は鎌倉時代末には商品として京都に上った。15世紀半には大型船舶が現れ中国大陸へ貿易船団として進出し、海上豪族・海賊大将軍が発生した。奈良時代から潮待港として鞆(福山市)などが知られている。鎌倉時代以降、武家支配の転変がつづいた。関ケ原役後は、安芸・備後を福島正則に与えたが罪をえて追放され、西部を浅野長晟、東部を水野勝成に与えた。浅野長晟は寛永9年(1632)、次子長治に備後三次を分封、元禄年間(1688〜1704)、水野氏が嗣なきにより除封となり、松平忠雅をへて阿倍正邦が封じられ明治になった。明治9年(1876)、備後国は安芸国とともに広島県に編入された。



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