備中国 びっちゅう


 大化改新の後、吉備国を備前・備中・備後に分けられた。足守川および高梁川下流流域に吉備国一宮吉備津神社が鎮座し、付近には岡山県最大の前方後円墳、造山古墳・作山古墳のほか多くの古墳群が存在している。国府は賀陽郡内を置かれ、国分寺も建立され、今の総社市金井戸付近といわれる。鎌倉時代になると土肥氏が守護、のち北条氏の所領となり、南北朝内乱期をへて明徳年間(1390〜94)細川満之が守護になってから細川氏の守護領国がつづき、領国解体期には北方から尼子氏、西方から毛利氏の勢力が侵入してきたが、毛利氏の勢力下におかれた。天正10年(1582)、羽柴秀吉の中国攻略と衝突したのが高松城水攻めである。江戸時代幕藩制下では小藩が分立し、岡山藩の支藩や倉敷・笠岡に幕府代官所が置かれた。明治9年(1876)、備前・備中は岡山県に備後・安芸国は広島県になった。  吉備路  吉備津神社から総社市にいたる国道180号線、旧山陽道をなかに挟んだ一帯は、古代吉備文化の中心地であった。吉備路は吉備津彦命を祭神とする吉備津神社・吉備津彦神社や大小の古墳があって、なかでも加茂の造山古墳・三須の作山古墳は4世紀から5世紀にかけての吉備豪族の権勢と吉備文化の繁栄がうかがえる。大和の律令体制が整ってくると吉備国もその支配下に組入れられ、吉備国は4か国に分割されて、その中心が備中国となり、国府・国分寺・国分尼寺が置かれ、豪族の氏寺も建てられた。



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