加賀国 かが


 南は越前、東は飛騨・越中、北は能登国と接する。西北は日本海にのぞみ、一般に平滑な砂浜海岸で、北西の卓越風と沿岸潮流とによって砂丘が発達し、かつてはその内側に大きな潟湖(ラグーン)を作っていたが、現在でも河北潟や柴山・木場・今江の三湖郡が残されている。東南部の国境には2702。の白山を主峰とする加賀山地がつらなり、その西側に一段と低い前山山地がある。この山地から大聖寺川・梯 川・手取川・犀川・浅野川・津幡川などが西北して、おのおのの沖積平野をつくり、とくに手取川の扇状地は雄大である。大体8「余の幅で、帯状に広がる穀倉加賀平野を形成している。縄文遺跡が海浜砂丘地帯と山麓線や河谷に点在し、弥生遺跡や古墳が三湖周辺からその東南の山麓地帯に群集している。これは古代の開発の過程を示すものである。北陸道は古く砂丘の内側に通じていたが、中世以後、東方の干潟低地の山寄りに移動している。加賀の国名は加賀郡よりでたもので出雲国加賀郡と何らかの関連が考えられる。古くは越の国に属し、のちに江沼・賀我二国が分離し国造がおかれたようである。大化改新にあたって二国とも郡とし、越前の領域となった。弘仁14年(823)、この二郡をもって加賀国とし中国と定め、天長2年(825)上国に改めた。国府は国府村古府の地であると伝えられている。承和8年(841)国勝寺をもって国分寺としたというが、その跡は不明である。加賀国一宮は白山比∩神社で、山岳仏教と習合し霊峰白山頂に奥院、下山七社・白山五院・中宮八院・三個寺など、加賀各地に占在して勢威を示した。延喜式内社は42社ある。



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