山陽道さんようどう


 古代の五畿七道の一つで、播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門の八国をさす。そのうち備前・備中・備後・美作の四国は古くは吉備国の名でよばれた。『延喜式』にある大路は、京都から九州の太宰府にいたるもので古代律令制度時代の官路としては山陽道は全国唯一の大路であった。そのころの東海・中山両道は中路で、その他は小路であった。古代の大路であったこの山陽道は江戸時代では江戸を中心とする五街道のなかにはいっていない。江戸時代の山陽道は古代の山陽道と必ずしも同じではないが、大体海岸に沿って走っていた。山陽道の諸国は中国山地の南斜面を占め、波静かにして明るい瀬戸内海に面し、吉備高原や中国山地地域の一部を除くと大部分が気候温暖で生産活動に恵まれている。西国諸藩で街道の整備は、寛永10年(1633)に幕府巡見使が西国に派遣されたのを契機に、各藩で道路普請奉行・御茶屋奉行を任命して道路・橋梁・宿駅施設を整備拡充した。山陽道の幅員は二間半(約5m)とし、沿道に松の並木を植え一里塚を築き、要所には茶屋を3軒ずつ設けた。山陽道の東西幹線のほか、陰陽連絡道として因幡往来・出雲往来・石見出雲路などの諸街道も発達した。宿駅には本陣・脇本陣・平旅篭、問屋場や常備人足25人と伝馬25匹と定められた。これで不足するときは、人馬を徴発する助郷が設けられた。姫路・岡山・福山・広島などは城下町であり、尾道や下関も古くから栄えた港町の後身である。神戸・下関間に明治34年(1901)に山陽本線が開通した。昭和17年(1942)の関門トンネルの開通は、旧山陽道をして北九州の工業地帯を阪神工業地帯に結ぶ廊下地帯たらしめた。戦後、瀬戸内各地に大規模な臨海工業地帯が造成され、ほぼ中央部を東西に走る中国縦貫道ができた。  山陽新幹線  昭和42年(1967)着工、同47年(1972)、新大阪〜岡山間162 が完成、開業。同50年(1975)、岡山〜博多間398 が完成し、全線営業を開始した。路線は時速250 運転に備えて、カーブを大きくし勾配をゆるめるため、トンネル部分が多くなり、新大阪〜岡山では全延長の35%、約57 、岡山〜博多では52%、約210 に達する。トンネルの中には延長16.2 の六甲トンネル、18.6 の新関門トンネルなど、8 以上の長大トンネルが6カ所ある。



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