周防国 すおう


 山陽道に大化の改新で設けられた国で、当時は周芳と書かれたが奈良時代から周防の字をあてた。現在の山口県の東南部、瀬戸内海面の地域にあたる。聖武天皇は天平13年(741)、全国に国分寺建立のみことのりを出し、周防国分寺の旧境内は防府市に土壇・礎石を残している。治承4年(1180)、平重衡によって東大寺が焼はらわれたのち、東大寺大勧進となった俊乗房重源が、全国から浄財をあつめ、文治元年(1185)大仏鋳造の大事業をはたしたが、つづいて文治2年(1186)、周防国が再建のための造営料国にあてられると、国務管理者となって周防国にくだり、見ずからが山奥にはいって用材の切り出しを指揮し、建久6年(1195)には大仏殿を竣工させた。その重源は、防府市の阿弥陀寺や月輪寺や石風呂などを残している。南北朝時代には土豪によって東大寺の知行は有名無実となり、守護となった大内氏は長門の守護厚東氏を破って防長の守護を兼ね、さらに北九州や中国全体に勢威を振るった。天文20年(1551)大内義隆は陶晴賢に滅ぼされ、陶氏を討った毛利氏が、関ケ原の敗戦後、長門の萩に居城し周防国は本藩と徳山・岩国の2支藩に分治され明治維新に至った。廃藩置県とともに、それらは山口県に統一された。



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